水路の掃除と春の気配

年末にはガッツリ降りましたが、ありがたいことに、その後はほとんど降ってなくて「雪」が少ない冬です。

昨年、新しく「栃洞」に別荘を買われた方がいるのですが、この方は冬も来られていて将来はここに移住されるとも聞いてます。

『いきなりいっぱい降らすと可哀想だ。「雪」に驚いて逃げ出すかもしれん。』と、「栃洞」の神様は優しいので抑えて下さってるのかもしれません。
私がここに越して来た年と次の年も少なかったので、きっと、そうです。

さて、本題に入ります。

「雪」が少ないと、私の場合、用が無くても外に出る機会が増えます。
まぁ『じっとして居られない性分』だからなんですけどね。(笑)

先日出掛けていて、集会所のちょっと「下(しも)」に「山水」が道に溢れているのを見つけました。(*「下(しも)」とは、ここらでは文字通り「下の方向」や「町の方」の事を言います。)

「雪」が多いと、全く気が付かなかったと思います。
道には「凍結防止剤」が撒かれますが、端の方は量が少ないからか少し凍ってました。

散歩をされてるお母さん達に会ったので『ここって、こんなに水が出てましたっけ?』とお聞きしたら『上の水路が詰まって溢れてるんじゃ無いか?』と言われました。

このままだと行き違いで車を端に寄せた際に滑っても危ないですし、散歩で歩いていて滑って転けたりしたら危険です。
また、斜面をあまり水が流れ続けると削れてしまって良い事は有りません。

なので、『「雪」の中を歩ける格好』をして見に行ってきました。

この格好、私の場合は「長靴」の上から「単車用のカッパ」の「ズボン」です。
この「ズボン」は裾が「ベルクロ」で絞れる様になっているので「雪」に埋もれても中に入って来ません。
もっと「雪」が深いと「カンジキ」を履きますが、それ程の「積雪」ではないので今回は省略です。

「積雪」の斜面を「除雪用」の「スコップ」を杖がわりにして登っていくと、聞いたとおり水路に「枯れ枝」や「落ち葉」が詰まって大量に溢れてました。

「防寒テムレス」という「防水・防寒」の手袋をして来てますので、手で取り除きます。

「ダイローブ」よりは防寒性が落ちますが、比較的薄手なので普段使いにも良いです。
(「ダイローブ」は凄く『ゴツく』て、かなり寒い時だけ使ってます。)

取り除いた後の写真。

水路の右手に写っている分、詰まってました。
なお「除雪用スコップ」が写ってますが、これで取り除いた訳ではありません。
これで詰まった「落ち葉」などを『抉る(こじる)』と壊れます!(笑)

最後に「取水」の「パイプ」にも、いっぱい「落ち葉」が詰まってましたので取り除きました。(この写真を撮った後に「ゴミ避けの金網」が半分「落ち葉」に埋もれているのを見つけましたので「パイプ」の所に設置しておきました。)

作業後の様子。

まだ「山水」が流れ出てますので『どこか「パイプ」から漏れてるのか?』と再度斜面を登ってみましたが、水路と道の中間辺りの「湧き水」の分でした。

「湧き水」は止められる訳では無いし、道に溢れて無いので様子をみる事にします。

せっかく『「雪」の中を歩ける格好』をしているので、ついでに「ワサビ田」や「梅」や「桃」の様子を見に行きます!

「ワサビ田」は昨年新しく「沢水」を引いたので、十分な水量が有りました。
なので、寒さで多少弱ってますが「ワサビ」は元気みたいです。

「ワサビ田」の横には「野ウサギ」の足跡。

新しい「梅畑」の様子。

ここも「野ウサギ」の足跡がいっぱいで、元気一杯走り回ってるみたい。
(今年は「兎」年だからなのかな?(笑)

ただ、「梅」の根元から根元を通ってるのが、ちょっと気になりました。

なぜかと言うと『ひょっとして「梅」を食べに来てる???』と思ったのです。
が、それは杞憂でした。

あと、冬場は「カモシカ」や「日本鹿」が「梅」や「桃」の枝を食いに来るのですが、全く足跡が無かったので、ちょっと安心しました。
(でも、「新芽」が大きくなって「葉」が出る様になると来るんだろうなぁ・・・。)

せっかく上がって来たので「栃洞」の風景を1枚。
こうして見ても、例年に比べて「雪」が少ないです。

ついでに、「開墾」している昔の「段々畑」方向も撮ります。

「雪」が多いと全てが「雪」に覆われますが、少ないので「石垣」が見えてます。
少ないとは言っても「雪景色」ですけどね。

でも、春は着々と確実に来ています!

「梅」の枝には赤い「花芽」が大きくなってきてます。

「桃」の枝にも「花芽」が少しづつ大きくなってます。

まだまだ寒い日が続きますが、このままあまり「大雪」が降らずに春になると良いなぁ。(笑)

「水路の掃除と春の気配」への4件のフィードバック

  1. 懐かしい水路の思い出!
    コンクリート水路が完成した数ヶ月後、近所の子供達で、取水口(白尾園の上)から導水口の「よしん坊谷」(善勝寺の上の谷の当時の俗称で今は・・?)まで、探検しました。
    谷の手前の大きな樅の木に鷹の巣を発見、親鳥のいない間に雛鳥3羽を3人で1羽ずつ抱いて帰り
    ました。
    オリも無く庭での野放し状態で、蚕や蛙を与えて数ヶ月、大食に餌の調達が大変になった頃、
    大きくなって野生に帰って行きました。
    のちに親父が言っていました。「あれは隼(ハヤブサ)だった、親鳥に遭遇しなくてよかった」・と!

    1. さっちゃんさん、コメントありがとうございます。

      エコロジーが今埋めている所が「よしんぼ谷」の手前までと、ミツオさんから聞いてますので、
      今でも「よしんぼ谷」です。(「よしん坊谷」と書くんですね!)

      「隼」、私も飼ってみたいですが、今は人家の近くには巣作りしないのでしょうか。

  2. 編集長、 よしん坊谷について追伸です。

    栃洞の古老から昔聞いた話です。
    昔昔の大昔、今のミツオさん宅付近に 「よし坊」と呼んでいた発達障害を患った少年が住んでいましたた。 よし坊は 毎夕毎夕 空腹を我慢しながら 夕闇のあの谷付近で親の帰りをじっと待ち立っていたとのこと。  
    時が過ぎ、何時しか 栃洞の人々はあの谷を、「よし坊谷(今ではよしんぼ谷)」と呼び よし坊地蔵を
    彫り、谷付近に祀りました。

    昭和中旬までは、道路があの谷付近で大きく蛇行し、地蔵様が鎮座していました。
    編集長、申し訳ないですが、お暇な時に地蔵様の行方を探索していただけると幸いに思います。

    1. さっちゃんさん、「よしん坊谷」の由来、ありがとうございます。
      お地蔵様の行方はモリエさんやセイさんに聞いてみます!

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